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CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

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2012年9月20日木曜日

CLILの事例1(フィンランド)

CLILを理解するためにいくつか事例の話をしましょう。

フィンランドに何度か行きました。明確にどの程度CLILが普及しているのか把握できませんが、CLILの理念はかなり浸透している印象を受けています。

CLILという用語を使うかどうかは別にして、英語で科目を教えている授業はいくつかの授業で実施されています。それとともに、英語の授業でCLIL的な活動が実施されています。

CLILの定義に関しては、こだわりを持って明確にしようと努力し、関心を持って人がいます。しかし、おそらく定義をすることはむずかしいだろうと思います。

それにこだわるよりも、何を教えるのか、学習目的を明確にすることのほうが重要だと、フィンランドの先生は考えているような印象を持っています。

英語の授業では、英語は、基本的に「道具」だということが明確です。フィンランドのNational Core Curriculumに次のような外国語学習についての記述があります。


Instruction in foreign languages will develop students’ intercultural communication skills: it will provide them with skills and knowledge related to language and its use and will offer them the opportunity to develop their awareness, understanding and appreciation of the culture within the area or community where the language is spoken. In this respect, special attention will be given to European identity and European multilingualism and multiculturalism. Language instruction will provide students with capabilities for independent study of languages by helping them to understand that achievement of communication skills requires perseverance and diversified practice in communication. As a subject, each foreign language is a practical, theoretical and cultural subject.

ことばと文化の理解によるコミュニケーション能力と自律学習が、実践的、哲学的に奨励されていることが分かります。これは、CLIL的な考え方を内在しているのです。

実際に、英語やその他の外国語の授業を参観すると、その理念が授業に反映されていることがよく見られます。

CLILの価値

英語の授業をみなさんはどうイメージするでしょうか?

小学校の外国語活動に携わる小学校の先生、児童英語教育指導者の先生、中学校の英語の先生、高校の英語の先生、ALT の先生、専門学校などの英語の先生、大学の英語の先生などなど、様々な人が英語を教えています。個々の違いはありますが、なんとなくそれぞれの授業に対してばくぜんとした授業イメージがありますが、そうでなくてはいけないという理由は明確ではありません。

しかし、公立の中学校などカリキュラムが比較的きっちりしています。授業研究が盛んであるためでしょう。小学校の外国語活動も授業が多く公開され、あるかたちに収束していく傾向があります。カリキュラムは教え方まで規定しているとは思えませんが、いつの間にかある授業パタンが多くなります。「真似る」ということでしょうか?しかし、これもそうしなければいけないという理由はありません。

指導法(メソッドあるいはアプローチ)についてはどうでしょうか?Communicative Language Teachingと言われる指導法はあまり明確ではありませんが、現在は主流と言ってよいでしょう。それに対して文法訳読法も実は主流のようです。さらには、多種多様な指導のあり方があるようです。私はどれでもその人にとって効果があれば、それでよいと考える立場を取っていますが、これらの指導法の違いにこだわる人も多いようです。しかし、学習者が英語を学ぶこと自体の目標はそれほど変わりません。学習指導要領に記載されている目標はごく当たり前のことです。教え方は本来自由ですが、忙しい仕事や教室環境や社会のニーズなどのことを考えると、ある指導のかたちに収束するのは仕方ありません。

バイリンガリズム、イマーションによる英語教育も根強いものがあります。歴史もあり、実績もあります。CLILがそれに取って代わるものではないことは事実です。やっていることは同じですが、問題は、教師の考え次第です。私自身は、これはイマーション、あれはCLILなどと分けることは意味がないと思っています。それは研究者のすることです。学習者はどう考え、どう「学ぶ」のかということが問題です。

その観点から、あえて違いを言うと:

「CLILは、英語母語話者でない教師が教える」

「イマーションは、バイリンガルの教師が教える」

ということが言えるようです。しかし、バイリンガルの教師がCLILを教えてはいけないということではありません。

つまり、CLILのほうが、「学び」を総合的に演出できる可能性があるということです。イマーションは、比較的高い言語能力を要求される傾向にあります。あるいは、高いニーズが要求されると言ってもよいでしょう。ですから、日本のように常に日本語が使われている環境では、イマーションはむずかしいと言えるでしょう。しかし、CLILは、そのような環境も意識して「学び」を演出すればよいわけです。日本語を使い、日本語が分かり、英語学習の苦労も分かる人が教えるほうが、「学び」を演出しやすいでしょう。

CLILでは、完璧(?)な英語を使える必要はありません。イマーションはそうである必要があります。数学や理科の先生が、英語を使って「学び」を演出することに意義があるのです。

この点は、うまく説明できないのですが、生徒からすると、英語の先生ではないふだん日本語で教科を教えている先生が、英語を使って、内容のあることを教えているということに、かなりの刺激を受けるようです。何度もこの場面を見ました。これは、英語の先生にとっては複雑かもしれません。あるいは、このことは英語の先生にはよく理解できないかもしれません。が、この刺激が大切だと思います。CLILはそれを「意識する」きっかけを与える可能性があります。

だらだらと書きましたが、CLILはやはり価値がある発想だとあらためて思います。しかし、多くの人の「CLILとバイリンガリズム、イマーション、内容重視の指導はどう違うのか?」の問いは重要です。

個人的には、その問いがなくなったときに、CLILは認められ、その価値を発揮するのでしょう。

再度くり返します。

CLIL は特別ではありません

2012年9月3日月曜日

CLILは特別ではない

CLILに関してみなさん誤解しているのではないか?

結論から先に述べましょう。

CLILに関しては様々な考え方があります。つまり、CLILは多様です。

私は、『CLILー新しい発想の授業』という本を共著で出しました。そこでは、CLILは指導法として紹介しています。一つの理念のもとにCLILを紹介しています。私自身はそれで授業を組み立てます。

しかし、CLILは多様です。本の中でも言及してありますが、バイリンガリズム、イマーション、内容重視の言語指導、などなど、すべてを包含しています。

「何をどうやって教えるんですか?」「指導の手順は?」「導入はどうやって、展開はどうするのでしょうか?」「評価は?」などなどの質問にはちょっと答えにくいというしかありません。

簡単に言えば、「いままでと同じでよろしいのではないでしょうか」と答えます。つまり、いままでのカリキュラムにそった指導の延長にあってよいのではないかと思います。

一つ言えることは、そこに科目内容の観点を入れることでしょう。

CLILは何も特別で魔法のような指導ではありません。しかし、いままでにない「学び」を提示してくれます。おそらく、それは教師が考え方を変えることに意味があります。上記のような疑問を持たなくなったときに、CLILは根付くと思っています。

いままでの英語教師としての観点から、自分の指導に自信があり、よい「学び」を提供できている教師には、CLILは必要ないでしょう。悩んでいる教師には、CLILは何かをもたらしてくれるはずです。

CLILを指導する際に、学習者のレベルにこだわる人がいます。英語指導であれば英語ができなければCLILはできないという固定観念がありますが、はたしてそうでしょうか?そう考えたときに、すでにCLILの発想ではないように、個人的には思います。

本の中でも紹介しましたが、小学校でのCLILは、目標言語ができなくてもかまいません。その範囲内で「学び」は可能です。私たちが、知らない言語、外国語を学ぶ場合、本当に、基礎から、発音、文字、文法、語彙などを学んでいく必要があるでしょうか?

ことばを学ぶ場合は、まず動機と必要性が大切だと思います。知らないことばでも状況を頼りにある程度のことは推測できます。それではもちろん限界があるし、効率はよくありません。しかし、そのようなよく分からない状況でもコミュニケーションが取れたときは嬉しいものです。ことばができなくても人はある程度コミュニケーションができます。

また、何かを知りたいと思う動機や必要性は、おそらくどんな人にも「学び」の意欲を引き出すと考えます。CLILのヒントはそこにあると思います。

動機も意欲もない人に「学び」を強制しても無駄でしょう。教師はそこまで考える必要はないと思います。しかし、動機や意欲を引き出すための方策は考えるべきです。

それが、CLILではないかと勝手に思っています。

CLILには可能性があります。ぜひ始めてみてください。