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CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

CLILアンケート調査


にご協力ください。

2014年12月4日木曜日

ICUでのFDセミナー

国際キリスト教大学(ICU)でのFDセミナー

CLILの背景や実践を話しました。私のCLIL実践がICUにどの程度役に立つのか分かりませんが、楽しく話させていただきました。今回の話は、CLILの基本的な理論と背景、それから、私自身の実践などです。

ICUということでNative speakerの先生が多く、それなりに自分の指導理論をすでに確立していると思います。私の話でCLILに傾倒するというようなことはないと思いますが、それなりに聞いてくれたようです。CEFRやCLILはヨーロッパのものですから、「なぜヨーロッパのものを日本に取り入れるのか?」という素朴な質問もありました。たしかにそうです。日本人はこれまでもそうですが、どうしても欧米かぶれのような部分は脱しきれないところがあります。私は決して欧米かぶれではありませんが、言われてみるとそうだと思いました。でも、CEFRやCLILは日本では有効だと思ったのが先です。

この機会に、私自身が、どうしてCEFRやCLILについて興味を持ち、日本への導入にかかわり始めたのかを少し振り返ってみました。

CEFRとCLILは密接に関係しています。CLILはCEFRがなければ、CBIやbilingual educationなどとほぼ同じアプローチとなります。CLILということも意味がないかもしれません。私は、CEFRの調査からCLILを知りました。ひょっとすると、そう考えてしまうのは、そのような出会いの経緯でそう思い込んでいるのかもしれません。が、CLILを実践することは、ヨーロッパのCLILをすることではなく、日本のCLILをすることです。これは、Do Coyleも言っていることですが、やはり、状況(context)が大切であり、柔軟であることです。

CEFRも同様です。外国語の到達度を明確にして、学習者が言語学習を自律的に進めることを支援するという発想は、とてもよい考え方です。CEFRも現在はCEFR-JやJapan StandardsなどとしてRLD(Reference Level Descriptions)化が始まっています。ヨーロッパから広がりを見せていて、Europeはすでに外れつつあるかもしれません。良いものは良いとして受け入れるという姿勢は、ただ欧米に追随することではないように思いますが、ここは冷静に考えていく必要がありそうです。

私の話はつたないものですが、CLILの話ができることはうれしいことです。この会を主催していただいた岩田先生、宮原先生、渡辺先生には感謝したいと思います。ICUが実践している英語(外国語)教育は、ほぼCLIL的だと思います。CLILというかどうかは、あまり問題ではなく、よい教育を提供すればよいと考えますので、当然、ICUは質の高い教育をしているわけで、そこで意見交換ができたことはありがたいことでした。

終わったあとのお茶の会で、お手伝いをしてくれた学生さんと話をして楽しかったです。若い人でも、考えている人はしっかり考えているなあとあらためて思いました。こういう若い人が、現状の日本の言語教育を少しずつ変えていく必要があります。応援したいですね。ぜひ、CLILに興味をもっていただきたいと思います。

その話の中でも出たことですが、英語と日本語の両方を授業で使うことです。つまりバイリンガルということですが、これに関してはいろいろな考え方があるんだと思いました。私は、その人が納得していればそれでよいと思います。英語だけを使って英語を指導する、ということも、うまくいけばそれでよいと思います。が、私は、自然にやりとりの中で必要だったら、日本語を交えてもよいと考えています。でも、英語を使う雰囲気は作らないといけないので、日本語ばかり使っているとやりにくいでしょうね。

このような「ことばの交差(translanguaging)」のことを、多くの人が取り上げているようです。従来のようなマイナスイメージではなく、プラスのイメージで考える方向性を示しています。CLILではこの「ことばの交差」を肯定的に考えていますが、そうではないと人ももちろんいます。意見が分かれることですが、私は、プラスに考えます。最近、この「ことばの交差」のことに興味を持っています。

いつも思いますが、このようにお話しの依頼を受けると、一番勉強になるのは自分だと思っています。ありがとうございます。これは、私の省察が少し高次になっているのかもしれません。そうなっていればうれしい。独りよがりにならずに、柔軟に考える。これがCLILの核心だと思います。また、それば私の言語教師認知の研究にもつながります。それは私自身の「教師のこころ」を見つめる機会です。これを探求したい。

いつものことですが、まとまりのないメモです。これは笹島のつぶやきです。誤字脱字、思い違いなどご容赦ください。


2014年9月28日日曜日

CAN-DOリストに関連したCLIL評価の提案

国際教育研究所月例研究会で『CAN-DOリストに関連したCLIL評価の提案』というタイトルで発表させていただきました。この研究会ではCLILに関してたいへんお世話になっている。ありがたいことです。この研究所は、羽鳥博愛先生が中心となって日本の英語教育を支えてきた重要な研究所です。羽鳥先生にお会いできて、写真のとおり、楽しくおしゃべりできました。まだまだご健在で東京オリンピックの話やリニア鉄道の話など実に元気で見習う点がありました。私がまだ高校教師の駆け出しの頃に、羽鳥先生の著書や講演を聞いて、ずいぶんと勉強させていただきました。羽鳥先生のいつまでも変わらない柔軟な考え方と前向きな真摯な姿勢に感銘を受けました。


羽鳥先生、山岸先生のおかげで、この研究所の会でCLILを取りあげていただき、CLILはますます広がりを見せています。ほんとうにありがたいことです。しかし、それとともに、課題も明確になってきました。その一つが本日話題とした評価の問題です。

私は、CAN-DOリストには、CEFR研究の関連からずっと興味を持っています。また、自分でも実践し、使用しています。CLILというのは、CEFRとは密接に関係しているわけですが、決して同じフレームワークの概念ではありません。しかし、現実問題として、CEFRを利用した評価とCLIL実践はヨーロッパでは車の両輪のように動いています。その話を、dynamic assessmentと関連させて話をしました。参加者の方と忌憚のないやりとりができてたいへん勉強になりました。発表スライドは本ブログからダウンロード可能です。

一つ本日の話の中で、多くの人に考えていただきたいことがありますので補足します。それは、評価に対する考え方です。

評価 = テスト

という考え方です。これは意外に根強いように思います。「科学的に評価する」あるいは「客観的に評価する」「正確に評価する」などなど。

評定は学校や授業のシステム上しなければいけません(それも本当に必要かどうか?)が、私たち教師は本当に「正しく」対象生徒の学力を評定できるでしょうか?

評定するにはテストが必要です。そこで、あるテストを作成して、テストをするとします。しかし、そのテストは、学んだ知識や技能が定着しているかどうかを測定することを目的としている場合がふつうです。しかし、それはCAN-DOの本質とは違うと考えています。
テストは、あくまで結果を見るということで、点を測定します。測定したい知識や技能の一部を測定し、可能なかぎりそれに近い部分を判断しようとしているとは言えますが、それ以上は言えないでしょう。

また、その測定は何のためにしているのか?という問題があります。これは表向きには「形成的評価」「総括的評価」などという名目で学習者に提供しているかもしれませんが、目標を決めて、その指導をして、それがどのくらい達成したのかという結果という点の評価です。その点を測定することを目的として評価することが、「形成的評価」「総括的評価」につながるということでしょう。

しかし、それは教師として本当に学習者に提供したいことでしょうか?

TOEFLやIELTSなどの英語テストは、ある程度綿密にその受検者の英語力を推定しています。しかし、その結果は必ずしも対象となる人の「コミュニケーション能力」の全体を判断しているとは言えません。ある前提のもとに推定してスコアやレベルを出しています。それはそれで価値がありますが、その場合の教師の役割は別にあります。その一つが、そのスコアやレベルをもとに、質的なサポートをすることです。

CLILは、そのような言語力を内容や状況と併せた統合学習を評価すること求められています。ということは、「複雑でむずかしそうだ」と考えがちです。それは無理だからやめようとなるかもしれません。それはひょっとすると思い込みかもしれません。

本題のCLILにおけるCAN-DOの利用を考えてみましょう。

CLILの評価を考えた場合、CAN-DOはある面で有効だと思います。問題は、CAN-DOの本質を理解しているかどうかです。単に「〜ができる」かどうかではあまり意味がありません。CAN-DOの本質は、ふりかえりであり、self-assessmentです。自律学習の育成です。そのためには、学習プロセスをassessするということが重要です。CAN-DOはこのassessに有効だと思います。そこで、CLILのCAN-DOは「何を」が工夫のポイントとなります。

さらに、その「何を」に関連して、授業活動の中でのやりとり、教師とのやりとり、学習者同士のやりとりの中で、assessすることを一義的に考えることが大切です。つまり、ここで、dynamic assessmentの観点を取り入れます。dynamic assessmentは言語テストには馴染まないかもしれません。より教育的です。つまり、指導しながら評価し、評価しながら指導する、あるいは、学びながら評価を加え、評価を考えながら学ぶ、いわば指導的な評価だと思います。学習者の点を見ることではなく、学習者の線あるいは面を見るということです。それも、不確定な「未来」を見ながら評価するということです。

CLILの評価を具体的に考える場合、dynamic assessmentが基盤にあって、従来の評価、科目内容の知識などの評価と言語(英語)の知識と技能の評価をします。私は、CLILにおいて学習者を評価する場合、いままでと変わらない評価のあり方でかまわないと思っています。特に新しい評価を開発する必要もないし、複雑と考える必要もないでしょう。しかし、大切なことは従来の評価の根本に、教育としての評価、dynamic assessmentの観点を置くことが重要と考えます。理由は、CLILの基盤が社会構成主義の考えにあるからです。これがいままでのcontent-based instructionと多少違う点と考えられます。評価もそうあるべきでしょう。

発表では、私自身がまだ今一歩明確ではないために、提案という形になりました。しかし、参加者の方からご意見をいただき、さらに、その後の会で様々な話ができて、かなり満足度の高い集まりでした。

いつもながら乱筆乱文にて失礼します。



2014年9月14日日曜日

神田外語大学児童英語教育センターでの発表

神田外語大学児童英語教育センターで発表しました。

第5回 小学校英語教育シンポジウム「教科として英語が目指す目標と指導のあり方」

という会で、私は、「小学校におけるCLILの可能性 ー英語学習を支援する教師の『こころ』」という題で発表しました。なごやかに話ができて楽しく参加者の方とやりとりができました。田中先生、河合先生、本多先生、ありがとうございました。もう一つの講演の伏野先生の「共同学習(cooperative learning)」ともうまく融合できそうだと感じました。

小学校では、英語が教科になるということがほぼ決まりとなるようです。関係の方々には重要な課題となっています。私は、ちょっと違う立場からこの点には大きな関心を示しています。が、小学校の現場の先生がたとはちょっと違うのかなという気がしました。この点はいい勉強になりました。

逆に、若い方から「CLILにすごく興味がある」と言われたり、あるいは、「実際に小学校で英語に携わっている方から、いままでもCLILやっていました。これからもっとやりたい」と言われたので、かなり軽い足取りで家路に着きました。

たくさん、話す内容を容易したのですが、時間もなく、大切な点はうまく説明できませんでしたが、いつもこんなものです。思ったことの半分も伝えられないし、誤解もされ続けてしまいます。伝えるということはむずかしいし、人は、考えていることはみな違うし、生きてきた過程が違うし、互いの背景も違うし、理解もむずかしい、と実感します。

そういう話は、私の最も興味のある「言語教師認知」です。私は、それを「言語教師のこころ(language teacher kokoro)」として考えていくことを決めました。その話は残念ながら今回もあまり話せませんでした。シンポジウムの趣旨とも大きく異なり、当然と言えば当然です。

さて、本題ですが、本日の発表で、小学校の英語の教科化に向けてCLILは大いに役に立つと改めて認識しました。ただ課題はあります。その課題に応えられればおそらく日本の小学校英語教育は世界に対しても大きく影響を与える英語教育ができると思いました。

一つは、早期外国語教育に対するこれまでの言語教育の知見に新しいアプローチを提供できる可能性があるということです。

ヨーロッパではCEFRを背景とした複言語主義(plurilingualism)と自律学習(learner autonomy)と文化間理解能力(intercultural communicative competence:ICC)の推進のために、早期外国語(英語)教育は主流です。そこに、CLILという政策的教育が導入されました。20年を経て、大きく広がりを見せています。しかし、参加者の方が指摘しているように、ヨーロッパのようには日本は進みません。それは当然です。

アジアでも早期英語教育は主流です。アジア的やり方です。CLILはそこではうまく進んでいないのが現状でしょう。当たり前と言えば当たり前です。CLILはヨーロッパの政策です。アジアではむずかしい。このような議論はあまり意味がないと考えるので、ここではやめておきますが、それでもCLIL的な考えはアジアでも次第に浸透しています。

そこで、日本の状況(context)に合った英語教育をCLILの要素を取り入れてカリキュラムを組むことが大切だと考えます。理由は、1英語使用環境、2教員研修、3学校(教育)文化、4日本語と日本文化に対する意識、などを考慮する必要があるからです。それはおそらく新しいCLILとなります。新しいかたちの

「科目内容の学びと関連させながら、英語がその科目内容に関連するところでどのように使われているかを提示しながら、それに関連する基本的な英語知識と技能の学びを支援する」CLIL

を目指したいと、現時点で考えます。

二つには、いわゆる欧米的な言語学習を基盤とした英語教育(TESOL, ELTなど)を背景とした早期英語教育の指導法に対して、日本の教育の伝統を背景とした授業研究によって、教科横断的なあるいは学校教育活動としての日本の小学校教育文化に適した言語教育(ある種のバイリンガルあるいはマルチリンガル)を開発するということです。

うまく説明できませんが、CLILはバイリンガル環境での教育です。「英語で理科や数学などを教える」ということと同義ではありません。4Cを原理として展開するCLILの特徴は「柔軟性」です。英語、理科、国語、社会、家庭、体育などと分けて考える必要はないかもしれません。英語を教える際に、英語の語彙をいくつおぼえた、文法構造で動詞の概念が分かるようになった、/ l /と/ r /の発音が正しくできるようになった、アルファベットが読めるようになった、書けるようになった、挨拶がいえるようになった、先生の指示が分かるようになった、などの、知識や技能の到達度を評価・測定し、判断する(assessment)は、それほど厳密にする必要があるかどうか。私たちは母語である日本語に対して、それほど厳密にそうしているだろうか?実際に英語が使えるようになった人は、学校の教師の評定やテストのスコアで、自分は英語が使えるようになったと実感するだろうか?あるいは、算数で足し算や引き算ができるようになるということは、日本語の理解も関連して、理解しているということで、それを厳密に分けて評価することは、果たして意味があるのかどうか?ことばは思考の対象でもあり道具でもあります。言語と思考、言語と知識、言語と技能を分けて考えることはかなりむずかしいでしょう。日本のように独特の小学校文化が強い場所では、それを活かして、英語教育を推進することが大切です。それも英語だけを分けて、アメリカなどの英語圏の文化に追随する英語教育はやはり持続的にはうまく行かないでしょう。それを、小学校の担任の先生は「よし」としないと思います。教育はもっと広い意味で考えなければいけないと考えるからです。

そこで、最低限の到達目標を設定(たとえば、CEFRにおけるA1)として、

日本の小学校教育文化に適したCLIL的英語教育の開発

を小学校の先生自身が開発することが、私は大切だと思います。それも、強制ではなく、それぞれの小学校の先生方に英語を使う体験型の研修の機会を与え、英語コミュニケーション能力を高め、英語が実際どのように様々な国で使われているのか理解してもらい、それぞれの教育環境で工夫してもらう。

シンポジウムを終えて、そんなことを考えました。

雑文で申し訳ありませんが、たいへん意義深いシンポジウムでした。ありがとうございます。








Think CLIL 2014 ベニス

8月のさいごにベニスに行きました。Think CLIL 2014 というヨーロッパのCLILの学会に参加するためです。

この8月はつごう3つの会でCLILに接したということになります。

8月 世界応用言語学会(AILA) ブリズベン
8月 JACET サマーセミナー
8月 Think CLIL 2014 ベニス(発表スライドは資料に掲載)

Think CLIL 2014では、CLILに関する発表をしたので、ここにスライドを付けておきます。内容は、CLILは教師の文化間意識(intercultural awareness)や文化間理解力(ICC)(intercultural communicative competence)も育てるということです。英語教師の役割は言語を教えることはもちろんですが、文化は、日本では「異文化理解」などとよく言われますが、私はあまり好きな言い方ではないので使わないようにしています。何故かというと、「内」と「外」という意識がすこにすでに生まれているような気がするからです。すでに定着しているのでどうしても使わなければいけないときは使いますが、ここではICCとしておきます。

私たち教師はこのICCをしっかりと理解しているかどうかはあやしいです。教師によってはかなり強い自分自身のビリーフを持っていて、それを強く押し出すことがあります。あるいは、人に押し付けることはしないが、決して自分の考えを変えない人もいます。そのことは意識しないと教師自身は分かりません。

発表では、CLILを意識して教えることで、このICCが育成できるということを発表しました。CLILは学習者のICCを育てることも一つ大きな目標としていますが、実は教師がその意識を理解し、教師自身がICCを見つけることが大切だということです。

CLILは、教師の教え方や教える内容や学び方を変える可能性があります。そのことにはとても興味があり、ずっと追求してきました。CLILに懐疑的な考え方を持っている人、CLILにどうしても納得できない人、CLILとは言っても結局「教える」ことだけにこだわってしまった人、教師はみんな違う考えを持っています。同様に学習者もそうです。分かっていても、実行できません。これは教師のおそらく特性でしょう。私もそうです。しかし、CLILという教育は、それに違った視点を与えて、ICCが身に付くと考えました。

発表は今一歩理解していただけなかったようです。。。。ま、くじけないでがんばりましょう。

さて、この学会はイタリアで行われましたので、イタリアの先生が多く参加しました。高校の最終学年でCLIL がカリキュラムに入っている関係でしょう。けっこう熱気がありました。それとともに、小学校のCLILも熱気がありました。イタリアの人はそれほど英語が得意ではなく、学校の英語授業もコミュニケーションを重視した授業とは言えない部分も多々あります。しかし、やはり、ここ数年でかなり変わってきていると思います。英語もイタリアなまりの英語で聞き取りにくい場合もあります。歴史のあるイタリアとしてはそれは変わらないでしょうが、それでも他のヨーロッパ言語などに関心を示しています。CLILもそれに乗じて浸透していることは間違いありません。そう感じました。








JACET サマーセミナー

JACETのサマーセミナーの報告をしましょう。8月18日〜21日まで草津温泉で行いました。参加者は50人程度です。テーマはCLILです。

CLIL and Content-based Language Teaching: New global perspectives of bilingualism and immersion


AILAが終わり、すぐにJACETのサマーセミナーがあったので、ちょっとたいへんでした。メイン講師は、Roy Lyster氏です。彼もAILAから草津のサマーセミナーへの参加でした。忙しい日程でしたが、おかげでたいへんよいセミナーとなったと思っています。

また、英検やオックスフォード出版も展示として参加してもらいました。参加者とテストや教材に関して意見交換ができ、貴重な機会だったと思います。

講義は下記のとおりです。幅広い知識を持ったLyster氏の4つの講義でほぼCLILという教育は理解できたのではないかと思います。

・Roy Lyster (McGill University, Montreal, Canada)

1. Introduction to content and language integrated learning
2. The role of interaction and feedback in CLIL
3. Integrating language and content through counterbalanced instruction
4. The role of teacher collaboration in CLIL
・Makoto Ikeda (Sophia University, Tokyo, Japan)

Experiencing and analyzing a CLIL lesson for university students

・Carol Inugai-Dixon (International Baccalaureate Organization, The Hague, Holland)

Developing academic literacy across the curriculum: a framework

さいごには、次のタイトルで締めくくった。

Discussion: Future directions of CLIL, CBLT, bilingualism, and immersion 
(Chair: S. Sasajima, Discussants: R. Lyster, C. Inugai-Dixon & M. Ikeda)

その他8人ほどがそれぞれCLIL関連のプレゼンテーションを行い、意見交換をしました。CLILは着実に日本でも根付いてきていると実感できた4日間でした。

公式に報告書も出ますので、詳細は控えます。ここでは、私の個人的な感想を書いておきます。

私は、このセミナーの企画から参加しました。4日間はけっこう長く年寄りにはきつくなってきました。しかし、小池先生も熱心に参加されていましたので、そんなことは言っていられません。

CLILのいつまでも続く疑問は「CLILとは何か?」です。このセミナーもそうでした。このセミナーに参加した多くの人がその疑問を持って参加したのではないかと思います。しかし、おそらく明確な答えは見つかっていないのではないかと思います。Lyster氏はカナダの人です。厳密に言うと、彼はCLILの人ではありません。彼はContent-based Langauge Teachingあるいはimmersionという用語でCLIL捉えています。別の意味ではbilingualismでしょう。これらの定義にこだわる人が多くいます。当然と言えば当然ですが、よく考えてみると、CLTの定義を明確に言うことができる人はいないでしょう。それでも、ほとんどの人がこのアプローチを受け入れています。しかし、その実態は多様です。

私は、どこでも「CLILとは何か?」にはこだわらないと言っています。すると、ある人たちはがっかりします。ある人たちは「?」となります。「定義がなければ授業にならない」となります。Lyster氏はこれに答えました。しかし、それは彼の理解であり、一般化はできません。同様に私のCLILの理解は「こだわらない」です。

セミナーでは、そのことも含めて日本のCLILのあり方を、The International Baccalaureate® (IB) も含めて考えたいと思っていました。目的は達成できませんでしたが、参加した多くの方が、CLILの意義やおもしろさに興味を持ち、実践してみようかと考えたのは事実です。

逆に言えば、多くの課題があることも見えてきました。科目内容の学習と外国語(英語)の学習を統合することの意義と具体的な方法です。CLILはおもしろいと考えている人たちはその明確な後ろ盾がきっとほしいのだと考えました。それがないと、日本ではやはりうまくいかないかもしれません。・・・などとちょっとネガティブ思考も生まれました。

いずれにしても、このセミナーのおかげで少しずつCLILの広がりが見えてきて、Lyster氏のカナダから見た考え方もよく分かりました。アメリカの影響の強い日本では、このことは私にとって貴重な機会でした。





2014年9月10日水曜日

8月 世界応用言語学会(AILA) ブリズベン

AILAでの私の発表はCLILとは関係なかったのですが、CLILはけっこう目立ったかもしれません。発表タイトルでCLIL関連のものは下記のとおりです。CLILがヨーロッパからさらに広がりを見せていることがよく分かります。

Content And Language Integrated Learning (CLIL) As A Catalyst For Research Cooperation In
Europe And Beyond

Relationships of Content and Language in CLIL

Lexical transfer in young CLIL and traditional EFL learners: a preliminary comparison

Extramural English, CLIL and the development of academic vocabulary in English among Swedish
students

Australian teachers’ perspectives on successes, challenges, and caveats of Content and Language
Integrated Learning (CLIL)

Gauging the CLIL effect: Results from a large-scale longitudinal study on German CLIL programmes

Vocabulary proficiency and progress among CLIL and non-CLIL students: a longitudinal study

TEMPUS, CLIL,DOTS, and beyond an adventure; Teaching content and language in an Israeli
engineering college

CLIL And Cognition: Taking It To The Next Level

Foreign Language Education Focusing on Subject Content and Individuality With CLIL and MI Theory

Writing progression, a comparison in a CLIL and a non-CLIL context

Investigating cross-curricular collaboration between L2 and content subject teachers in content-based
instruction programmes

Content-based English language teaching for at risk EAL students

Content and language integration in Swedish schools - the CLISS project

TEMPUS, CLIL,DOTS, and beyond an adventure; Teaching content and language in an Israeli
engineering college

Discrepancies between beliefs and practices?: Swedish content teachers’ language use in bilingual
education programmes

Content and language integration evidenced in interaction add: A micro level analysis

Fostering content and language integration with an online corpus of science and engineering lectures

Beyond borders’ researching telecollaborative geography education in a content and language
integrated learning setting

Improvement in L2 EFL Writing as a result of Content and Language Integrated Learning

私は、これらの発表のすべてに出たわけではありませんが、印象に残ったのは、研究面での模索です。この学会は、もちろん、応用言語学の学会ですから、その領域でのCLILの立ち位置を探しているような気がしました。やはり、CLILの根強い課題であるCBI, bilingualism, immersionなどとの差別化や、ヨーロッパからの広がりなど、理論的な面での脆弱性は、依然として、問われています。

その中でも、multilingualismの中で特に話題となっている「translanguaging」という用語がこの学会でも目立ったような気がします。codeswitchingなどのネガティブな面ではなく、「言語が交差する」という状況を肯定的に捉える視点です。特に、CLILの授業では、このような言語が交差して使われる状況は自然なことであり、かつ、思考が活性化される面があります。その探求は新たな視点を与えています。

もう1つ、この学会で印象に残った点は、オーストラリアでのCLILです。LOTEという観点から多言語教育を政策的に取っていたオーストラリアでCLILという用語が使われ、いくつかのプロジェクトが進行していることに驚きました。これはアジアにおけるCLILについての方向性を示す可能性があるのではないかと思います。

大会が行われたブリズベンは日本人にとっても馴染みのある地域です。多言語多文化状況はヨーロッパとは違いますが、別な意味でのtranslanguagingはふつうです。日本はどうでしょうか?状況は違います。異なる観点でこの問題を考える意味は大きいという気がしました。

学会の内容とは関係がありませんが、この学会にたくさんの日本の人が参加していました。別な意味で、この学会で、多くの日本の方と交流が持てて、貴重な機会でした。




2014年9月9日火曜日

EALTA学会での発表(Dynamic Assessment in CLIL classrooms)

かなりご無沙汰してしまいました。すみません。
ぼちぼちと追加しておきます。

まず、

5月末のEALTA学会での発表(Dynamic Assessment in CLIL classrooms)のことを書いておきます。

EALTA (European Association for Language Testing and Assessment)はテスティングの学会です。CEFRの研究の関係で会員になっています。特にClassroom-based Language Assessmentに関心があり、参加しました。

EALTA 2014資料

私は、そこでCLILの評価について提案してみました。あまりまとまった発表ではなかったので批判を受けるつもりで発表しました。

CLILの評価測定という点に関しては、CLILを実践し始めるとだれでも考えだすことでしょう。つまり、科目内容と英語を統合して学び、教師はそれをどう評価したらよいのか、というような疑問は自然です。そこで、従来の評価ではない考え方が必要だと思いました。

私は、ESPを研究実践してきたので分かりますが、ある分野に特化したESPの評価測定はむずかしい問題です。ESPは、「ある特定の(明確な)目的のための英語(教育)」ということで、英語という言語能力の評価をある分野に特化したかたちで評価します。CLILよりは明確ですが、それでもそう簡単にはいきません。

でも、たぶん、それは従来の考えにとらわれるからだと思い、ふつうに英語だけで考えて評価し、あまり追求しませんでした。たとえば、私は医学生を教えているのですが、基本的に医学に特化した英語の評価はしていません。あくまで英語の評価です。医学という領域の内容に関しての評価は、教師としてあるいは評価者として追求するよりも、学習者の判断にまかせたほうがよいと考えるようになりました。理由は簡単で、私にはできないからです。

考えてみると、CLILはESPよりもっと混沌としているので、さらにむずかしいかもしれません。ESPが「特定目的のための英語」を評価するのに対して、CLILは科目内容と言語を統合した評価をするということになるからです。CLILは、科目内容の評価を外国語を通してするわけですから、かなりむずかしいということは容易に想像できます。

しかし、ヨーロッパのCLILの基本は科目ですから、実際は、科目内容の知識や技能の評価が主になっているはずです。言語はそれに不随するのです。多くの場合、言語力はCEFRの6レベルで判断する、あるいは言語テストで判断する、という程度でしょう。それでよいかどうかは別ですが、現実としてはそうです。

私自身は、あまり評価のことを深く追求してきませんでしたので、それ以上は、ここではやめておきます。しかし、私は、少し違った観点で評価を考えるようになりました。つまり、CLILはいままでの評価測定という考えよりは、未来志向の評価測定が望ましいと思っています。成績の付け方は、いままでのとおり、学習目標があり、それがどの程度達成されたかで測ればよいのですが、CLILはそれだけではあまり学習者にとって意味がないと考えるのです。

EALTAというヨーロッパの学会のClassroom-based Language Assessmentの集まりで、それに触れた発表をしてみました。標題にあるとおり、dynamic assessmentという考えをCLILに取り入れてみてはどうかと考えたのです。しかし、それほど大きな反響はなかったというのが正直な感想です。従来の評価があるときの一端を切り取った静的評価だとすれば、dynamic assessmentは動的評価です。教師と学習者、学習者と学習者など、双方向性があり、かつ、学習者と教材など、未来に向かう教育的評価アプローチです。

私の趣旨は、assessementという考えをもう一度よく考えてみたほうがよいということです。テスティングの分野の考え方とは違い、大雑把ですが、assessするということは、評価を出すことではないし、現状の知識や技能のレベルを正確に把握して、学習者に伝えるということでもない、と考えるようになりました。つまり、dialogic mediation(対話のやりとりの中で学習者の学習の仲立ちをする)という考え方でよいのではないかと思い出したのです。この点は、私自身も確固とした理論があるわけではないので、ほんの思いつきです。

具体的に言うと、「成績をつける」というよりも、「ここが弱いから、ここをもう少し勉強して、学習を考えてみたらどうか。そうすれば、ここまで行けるよ」的なassessmentでよいのではないかと考えています。従来の形成的評価、診断的評価とほぼ近いですが、それをdynamic assessmentとして利用する方法を考えました。その考えを発表では提案しました。

その発表の際に、Tony Green先生が、learning-oriented assessmentという内容を発表していました。ほぼ同じようなコンセプトですが、私のdynamic assessmentの考えはもっとあいまいな発想なので、そのような指摘が当然ありました。ただ、参加してよかったのは、意見交換することで、少し具体化できそうだと思ったことです。

これは、また別の機会に。

この8月は、AILA、JACET Summer Seminar、Think CLIL 2014とたくさんのCLIL情報があります。時間を見て投稿します。ちょっとお待ちを。


2014年5月13日火曜日

千葉大学で科学講座の実践

先日、千葉大学の大井恭子先生と加藤徹也先生を中心に実践された千葉大学での中高生向けの科学講座(英語で学ぶ科学と実験)に関する論文を読みました。とても興味深い実践報告なので、ここで紹介したいと思います。

著者の方にも許可をいただきましたので、論文は下記よりダウンロードしてください。

Reexamining the Program "Learning Science and Experiments through English for Junior and Senior High School Students" from a Perspective of CLIL (2014)


ヨーロッパでも、また、日本でも、数学や理科を英語で教えるという授業はあちらこちらで行われるようになってきています。どちらかというと、「英語で教える」ということにとらわれ、形式的になり、「学び」という面がおろそかになる面も否めません。

また、英語という言語面が重視され、語彙や表現を学ぶことに重きが置かれ、日本語で学ぶ内容の英語版という授業になってしまう可能性もあります。

ヨーロッパでいくつか理科の授業を見ました。どれも基本は理科の授業です。理科の先生が英語で教えるという授業です。フィンランドやドイツはバイリンガルが基本です。生徒が分からなければ無理に英語だけを使うことはありません。また、生徒同士は必要に応じて英語や母語を使います。無理はしません。ポイントは、理科の学習だからです。

しかし、理科の教師も英語を使うときに、語彙や表現で工夫をしています。文化的な面も考慮しながら英語を使っています。母語話者とは異なるアプローチです。

オランダやスウェーデンやスペインでは違う状況でした。きっと各先生や生徒によってかなり多様なCLILがあると考えられます。その意味では、日本でも多様だと思います。『日本でのCLILの進展ー2013』で紹介されている事例もそうです。様々なCLILがあってしかるべきだと思います。

というわけで、CLILの授業方法もかなり多様で効果性を測定するのはけっこうむずかしいのですが、千葉大学の実践は、実験的な試みの授業を質的に評価した内容となっていて、興味深いと思いました。

A Science Studio Chiba Science Experiment Course

千葉大学では上記の講座の名称で、「英語で行う早期科学教育プログラム開発」を行っているということです。中学生と高校生の受講者相手に理科の教員が英語で行うプログラムです。正課というわけではありませんが、理科と英語で協同して取り組むという、まさにCLIL的な展開がされています。

そのプログラムで、授業実践をアンケートと観察とインタビューで検証している点が注目されます。アンケートやテストをして効果測定をして評価するのではなく、評価の観点に、Uncovering CLIL (2008)で紹介されているCore features of CLILを使っている点が特徴です。Core features of CLILは、実は私が関わった『CLILー新しい発想の授業』(2011)でも紹介しているもので、実践的なCLIL授業をする際に注意すべきことを示しているので、準備する場合も評価する場合も使えるCLIL授業のガイドラインと言ってもよいかもしれません。『CLILー新しい発想の授業』では手前味噌にもなりますが、かなり実践的なアイディアを掲載してあります。

論文によれば、本実験授業はそれによるチェック項目にほぼ該当しているようです。CLILとしても成功した例と言えるでしょう。さらに、授業観察と参加生徒への事前と事後のアンケートとインタビューが報告されています。少人数のクラスで、理科と英語の教師がかなり準備して取り組んだ授業なので、環境的にも恵まれ、満足度は高くなることはある程度予測がつきますが、今後の日本でのCLILのあり方に一石を投じる内容ではないだろうかと思います。

理科や数学のCLILは、どちらかと言えばやはり学習する内容が重視となります。学習者の興味も言語よりも内容に自然に向かいます。しかし、実験手順や扱う内容の語彙や表現も言語学習として重要な目標です。論文でも、内容の学習においては確かに効果があったが、言語面の学習は定かではなかったとあります。この点はたいへん興味深いと思いました。おそらく指導の中で、理科の教えている内容のディスコースコミュニティの理解の必要性を観察したのではないかと思います。現在、このようなCLIL授業の談話分析は盛んですので、今後言語的にCLIL授業の分析が進むことが期待されます。

しかし、私が思うには、CLILでは、ひょっとすると、言語面の学習は見えにくくてよいのではないかと考えています。学習者は、言語にあまり注意を払わなくても、潜在的に暗黙に(implicit)言語を学んでいる可能性があります。そこがCLILのポイントだとも思います。もちろん、だからと言って、教師もそれでよいとはなりません。研究者としてはその探求を進めるべきですが、教師としては、直感があれば、それを優先すべきでしょう。

英語の習熟度を測定するという言語的な面の評価は、言語を教える側とすれば、文法や語彙が理解できたかどうかという視点になる傾向がありますが、この言語アセスメントの方法は議論のあるところです。私は単にヨーロッパで利用されているCEFRの6レベルか、開発にかかわったCEFR-JやJapan Standardsを利用しています。

CLILのアセスメントは実際まだ未開拓な部分が多いというのが現状です。どの程度まで理解できているかとういう従来の評価測定の考えよりは、ポートフォリオ的な評価が主流で、形成的に考えるほうが妥当だと思っています。しかし、それでも、CLILという授業活動の中で言語的な面の習熟をどう測るかはけっこうむずかしいし、もしそこに焦点を当て過ぎれば、CLILの良さが消えてしまう可能性もあります。さらには、内容の評価・測定も同様です。

そのような観点から、この論文は実験的なCLIL授業の試みですが、授業評価という点でたいへん興味深いのでご紹介します。ますますこのような地道な実践的な研究が積み重なることを期待したいと思っています。

取り急ぎご報告まで。


2014年5月12日月曜日

CLILの進展−2013(第1版)

1年ちょっと前になりますが、上智大学で「CLIL懇談会」を行いました。そのときに参加した人で、「CLILの進展−2013(第1版)」をまとめました。正式には、CLIL JAPANとしてまとめてあります。

CLIL SAITAMAからもダウンロードできるようにしてあります。ぜひ興味のある人は読んでください。

CLILはますます盛んになっています。それとともに、課題も出てくるでしょう。考え方も様々になるでしょうし、懐疑的に見る人もいるでしょう。それがCLILの特徴でもあるので、議論があちらこちらで生まれるのはけっこうなことだと考えます。

物事は考え方次第で、CLIL自体がそのような面を持っています。「学ぶ科目内容と言語が統合される学習」と名付けられたCLILは、ヨーロッパでも多様なのが現実で、教え方に形はないと言ってよいが、当然カリキュラムはしっかりとした内容を持っている必要があります。目標設定とその評価です。科目内容であれば、数学や理科であれば、その内容の理解であり、思考です。数学的な論理的思考ができるようになることが目標です。そこをないがしろにはできません。英語であれば、その学習で使用される英語の語彙や言い回しは、実践面で理解し使用できる必要があります。

その点から言うと、日本のCLILの状況は英語教育の一部でしかないかもしれません。が、何もこれは、日本だけのことではありません。

ということで、そのような議論の一歩として本冊子は重要です。『CLILの進展−2013(第1版)』をぜひ多くの人が参照していただきた、さらに実践と研究が進むことを望んでやみません。

2014年4月24日木曜日

ドイツの「アートを英語で学ぶ」

2月の終わりから3月にかけてドイツとオランダのCLILとIBの現状を見て来た。一つだけ、ここで報告しておこう。

ドイツのオルデンブルク(Oldenburg)で参観したLearning English through the Arts(LETTA)というセミナーのことだ。

LETTA

内容は、「アートという科目を通じて英語を学ぶ」ということを、養成課程で学ぶ学生が集まって考えるセミナーだ。ドイツ、ポーランド、リトアニア、トルコからの学生が60人ほど集まって英語でやり取りをしながら、それぞれの国の教育環境や状況を理解しながら、「どう教えるか」(didactics)を実践的に考える2週間のセミナーだ。

背景には、アートの授業が英語で行われているという実態がヨーロッパであるということだ。つまり、アートのCLILだ。絵を描く、何かを作る、音楽や踊りをする、などなど、よく考えてみると、確かに、CLILの要素を多く含む活動が自然にできる。英語を使ったとしても、実体や行動として示すので、ことばが理解しやすい。

集まった学生たちは、英語の教師になるという人とは限らないようだ。将来は様々であるが、このセミナーに関心を示して集まった。基本は小学生や中学生にアートをどう教えるかというコンセプトだが、ただ講義を聞くというよりも、ワークショップや発表を重視し、まさに、このセミナー自体がCLILとなっている。

さらに、おもしろいことに、集まっている人全員が英語を母語とした人ではない点だ。バイリンガルやトライリンガルの人はいるかもしれないが、英語は母語ではない。しかし、焦点は、英語という言語ではない。あくまで、アートである。主催はオルデンブルク大学の先生たちであるが、エラスムスというEUの基金で運営されている。

私は、最初の3日間だけ出席しただけであるが、参加者は、それぞれの国の人といっしょにCLILを考えるという文化交流を楽しんでいるようだった。もちろん、ドイツ以外の国の人はドイツを知るという意味で有意義だし、ドイツのオルデンブルクの学生は、トルコ、リトアニア、ポーランドなどの学生から刺激を受ける。単に、学生が集まり、英語のトレーニングや英語教育を学ぶよりは、このほうがおもしろいと感じた。

日本でこのようなセミナーを、中国や韓国の学生や先生同士でやってはどうかとセミナー中に考えた。英語を教えることだけで集まるのではなく、やはりCLIL的な内容を研修するのである。しかし、スポンサーはいないからおそらく無理だろうと思った。ヨーロッパは懐が深い。

オルデンブルク大学のゲーリング教授が音頭をとってこのセミナーを主催している。かなりの労力だろう。他の大学の先生も引率として参加している。2週間はたいへんだ。しかし、学生にとっては貴重な催しである。CLILに期待するものが大きいのだろう。

ドイツのCLILは、教師は2科目を教えるという背景に支えられている。また、ドイツ語やドイツ文化を大事にするという姿勢もしっかりとしている。私は、このセミナーで、日本はこれに学ぶべきと考えた。つまり、バイリンガルだ。もちろん、ドイツ語は英語に近い言語であり文化的にも近い。それに比べると日本語は言語も文化も遠い。それはそれとして受け入れて、英語のCLILを日本語を大切にしながら学ぶという方向で考える。英語だけで教えるとか考えずに、CLILを考える。アートならば様々な活動が工夫できそうだ。


2014年3月8日土曜日

沖縄・名桜大学でCLIL

2月20日に沖縄の名桜大学に招かれてFDセミナーでCLILについて話した。名桜大学では、私が話すまでもなく、すでにバイリンガル教育を実施して実績をあげている。大学の雰囲気も沖縄らしくゆったりとした時間が流れているような気がした。特に、CRLA(College Reading and Learning Association)という学生同士で学習を互いに支援するシステムが機能していることに感心した。今回も大変勉強になった。いつものとおりだらだらと記録しておきたい。

さて、FDセミナーであるが、私の話で使用したスライドは本ブログからダウンロードしていただきたい。大学でのCLILということで、昨年三重大学で話したことと重複する。私が強調したい点は、CLILの導入によってドラスティックに英語力が伸びるということは考えにくいということだ。しかし、CLILによって教師も学生も英語や言語に対する見方が大きく変わる可能性があると言いたい。CLILは教育(pedagogy)なのだ。名桜大学にはその素地がすでにあると思う。


私に依頼してくれた先生は公衆衛生の小川先生だ。小川先生は英語の必要性を肌で感じ、学生にもそれを伝えたいと強く考えているようだ。『CLIL Health Sciences』の教科書を見て、CLILに何かあると考えたのだろう。期待に応えられたかどうかは定かではないが、ぜひ小川先生によるCLIL、名桜大学のCLILの発展を祈念したい。

名桜大学のセミナーの主催者は渡慶次先生だ。渡慶次先生は中学の教師をされていたので、教育のことがよく分かっている。研究としてのCLILではなく実践としてのCLILを展開してくれるとありがたい。「英語で英語を学ぶ」のではなく、「英語も学び、将来必要となる知識や技能を英語で学ぶ」というCLILを実践し、CLILの名桜大学としてはどうかと思う。

そこで、バイリンガル教育や内容重視指導(CBI)とCLILのことを少し整理したい。日本でCLILを実施する場合は、やはりバイリンガル教育になるだろう。しかし、これまでのバイリンガル教育とは異なるコンセプトで実施する必要がある。また、単に扱う題材内容やトピックに焦点を当てた指導ともやはり一線を引くべきだろう。

注目するのは、学習者の思考(cognition)である。バイリンガル教育や内容重視指導(CBI)という言語教育の視点を脇に置いて、学習者は何を考えているのかに焦点を当てる。つまり、英語を活用することの意味、英語で学ぶことの意味、英語が上達することの意味を、学習者自身が考える機会を作る。授業で英語を話す、プレゼンテーションができる、ディベートができる、などの表面的なプロダクトだけを見るのではなく、プロセスを教師は考慮する。そのような学習者の思考の活性化を促す工夫をする。

バイリンガル教育や内容重視指導(CBI)も、教材や言語活動に焦点を当てがちであり、ともすると教師主導になる。バイリンガルであれば、母語と目標言語の使用の割合を気にしたりする。CBIであっても、内容と関連して語彙や文法などの指導を考えてしまう。そのような展開を変える意味でも「思考」に焦点を当てる。

次に、「コミュニケーション」である。コミュニケーションは英語でできれば英語ですればよいが、学習者によってはそれが負担となる場合もある。その場合、言語は別にして、コミュニケーションを優先する。意味のやりとりが重要だからだ。混乱するかもしれないが、このような状況から次第に目標言語である英語に移行することを教師がアレンジする。

さらに、「内容」はもちろんであるが、用語を覚えたり、知識を詰め込むことに重きを置くと受動的な展開となり、学習者にとっては「言語」を使うことには結びつかない可能性が出てくる。ここで大切なのが「タスク」ということである。もっと簡単に言えば、学習者がどのような活動をするかを教師がどう演出するかである。

私はこの活動については学習者の特性にある程度ゆだねることが大切だと考えている。つまり、あまり型にはまった活動を提示にしないほうがよいと思っている。何が起こるかわからないということが大切で、学習者自身がいろいろと考えることが「文化」ということにつながると思う。

さて、FDセミナーの後、写真のように名桜大学の先生方と会食した。こちらはとても有意義で、いろいろと教わりました。感謝です。また機会があればぜひお邪魔したいと思いました。名桜大学のCLILに期待します。


翌々日からドイツに調査で出かける用事があったので、沖縄を堪能したかったが、翌日早々に引き上げたが、CLILを広めるためならばどこへでも行きたいと思っている。教師生活もあまり残されていないので、これがさいごの仕事の一つと決めている。

2014年2月15日土曜日

CEFRとCLILについて最近思うこと

埼玉のあたりでは先週に続いてまたまた大雪です。

2月10日(月)に都立の翔陽高校というところの研究発表会に招かれて行ってきました。先週の大雪の後で準備などがたいへんだったようですが、指導主事の先生をはじめ、たいへんよいチームワークで研究された様子が理解できました。

主題は、「生徒が思考力・判断力・表現力等を育むためのタスク活動の評価の在り方」という設定されたテーマですが、単に型通りの研究ではなく実のある内容で、関係する生徒にとってはありがたいことだったと思います。

主たる課題は、CAN DOリストを授業でどのように効果的に利用するかについての工夫でした。CEFR-Jを利用し、タスク活動をどのように展開するかというものです。この流れは、CEFRのもとであるCLTの実践からすれば当然のことですが、日本の英語授業環境ではなかなかむずかしいところで、みなさん同様の悩みを抱えていると思います。

当日は、研究授業がありました。先生も生徒も大雪の影響で思い通りの進度ではなかったので、たいへんでしたが、生徒は熱心に課題に取り組んでいました。いい授業を見せてもらいました。

そこで考えたことをちょっとここでメモさせてもらいます。(いつものことですが、文章は推敲をしていませんので、誤字脱字、分かりにくいところ、誤解などがあると思いますが、ご容赦ください)

私は、10年以上CEFRを研究してきました。また、ほぼ同様にCLILについても調査してきました。CEFRとCLILは互いに直接関係していませんが、政策と現場でよくつながりを持っている実践だと考えています。その意味から、タスク活動はCLILがよいと思っています。

CLILは定義があいまいで、何でも含みます。そこが特徴です。つまり、タスク活動にCLIL的な考え方がおおいに効果があります。少し乱暴な言い方をすると、日本でよく行われている文法訳読式授業はCLIL的に展開できます。日本の英語授業で「英語で授業をすれば英語力が向上する」といのはあまりにも短絡的で、決して得策ではなく、逆に、CLILの理念を取り入れて、従来からの文法訳読的な授業形態をCLIL的に変えていくほうがうまく行くのではないかと思います。

というのは、授業の目標、授業の人数、学校環境、社会環境、教師の職能と特性などを考えると、日本語と英語のバイリンガルで、内容とことばの両方に焦点を当てた学習を展開することが、学習者にとっても教師にとっても「心地がよい」し、ニーズに合っています。タスク活動を欧米的な考え方だけで構築することは、いままでのCLTの失敗を繰り返すだけになるかもしれません。

そんなことを考えました。

高校の喫緊の課題は、やはり、大学進学率や有名校への進学であり、学力向上や部活動実績などで一人ひとりの進路実現であり、将来につながることです。英語のニーズは、基本的に受験に必要な力の育成でしょう。英語がただ話せるだけでは、先がありません。英語の先にある知識内容が重要になります。

CAN DOは、「〜ができる」ですが、「現在完了形を使って〜ができる」ではなく、「歴史や地理を理解するために、どのくらい以前に、どこで、だれが、何をして、それが今の時代にどう影響しているのかについて〜ができる」というように、内容や行動に関係するほうが分かりやすいでしょう。それは英語教師からすると、言語的に何をどう教えてよいか複雑になり、すっきりしないかもしれません。しかし、現実はそうです。

では、どうするかということになります。そのヒントがCLILにあると思います。

CEFRに関しては、私自身も二つの日本文脈化のプロジェクトにかかわりましたが、現時点ではあまり細かくレベルを分けるのは得策ではないと思っています。6レベルのような大雑把な分け方がベストのようです。細かいレベルの設定やそのレベルを測定するということは、研究者としては興味深いことですが、学習者としてはそれほど大切なことではありません。学習者としては、「英語を使って、大学で経済の勉強ができる」「英語を使って、レストランで働ける」などという具体的な尺度のほうが大切です。

その点から、CEFRとCLILはつながります。




2014年2月7日金曜日

すっかりご無沙汰

どうもすみません。

多忙で、すっかりご無沙汰してしまいました。どっこい、CLIL SAITAMAは生きています。

昨年の夏から秋から冬にかけて、何をしていたのかを報告します。私の学術的な専門は、

言語教師認知(Language Teacher Cognition)

です。その関係から、CLILに実践的に興味を持っているというのは、あちらこちらで言っています。教師に会いに出かけ、授業を見て、話を聞く、ということをしています。CLILというのは、いわゆる外国語教師とはちょっと異なる視点で教えることが多いし、学習者も違った意識で学ぶということがあります。

9月から11月にかけて、学会がらみで、スウェーデン、フィンランド、ドイツなどに出かけて、それをして来ました。いずれ調査結果はまとめたいと思いますが、文献だけを見て判断するのはとは違い、状況は様々だということがよく分かります。でも改めて思うのは、

CLILはおもしろい!

ということです。

しかし、誤解してもらいたくないのは、CLILには何も特別で魔法のようなメソッドがあるわけではありません。CLILで使われている多くの活動例は、様々な効果的と思われる社会構成主義から生まれてきている一連の考え方から来ています。さらには、見逃してはいけないのは、外国語授業とは違う要素がたくさん入っているということです。だから、おもしろいのです。

フィンランドのヘルシンキ大学で、Heini-Marja Jarvinen先生と何度か話し合いました。彼女が編集した次のCLILのハンドブックは、言語教師の視点からCLIL の実践的な活動をまとめたものです。

Handbook Language in Content Instruction 

一読してみてください。

CLILに関しては、様々に関心をもたれて、興味のある方が声をかけてくれます。私はどこへでも時間があれば出かけるようにしています。それほど話が上手ではないので、うまく伝えられないことが多いのですが、中にはとても興味を持ってくれる人がいるのでうれしく思っています。

今年は、JACET(大学英語教育学会)主催で、カナダのRoy Lyster先生を招き、下記のテーマで、サマーセミナーを開きます。必ずしも、会員でなくても参加できますので、興味ある方は参加してください。

CLIL and Content-based Language Teaching:
New global perspectives on bilingualism and immersion
CLILと内容基盤型言語教育:グローバルの視点からのバイリンガルとイマージョン)

8月18日(月)〜21日(木)
群馬県草津温泉のホテル

興味ある方は、笹島に問い合わせください。

それから、Oxford Dayで昨年の秋に一度CLILについて話しました。興味ある方はスライドが下記のサイトからダウンロードできます。


ということで、活動しています。

2月、3月は、またヨーロッパに行って調査してきます。